歴史を知れば日本旅行がもっと楽しめる!「日本の歴史」をわかりやすく解説
観光スポットや歴史的建造物など、観光でよく訪れる場所の背景を知れば、日本をもっと楽しめるはず。 その背景となるのは当然、日本の歴史です。 原始時代から綿々と続く日本の歴史の流れと、各時代ごとに起きた主な出来事を一挙にご紹介。 日本を旅行する前に、日本の歴史を勉強してみてはいかがでしょうか。
生活・価値観・文化・経済状況全てが激動した62年間
1926年12月25日から1989年1月7日までの62年間を昭和時代と呼びます。
昭和とは日本の元号の一つで、日本の元号の中でも最も長く続いた元号です。
長く続いた昭和時代は、第二次世界大戦や昭和恐慌、GHQによる統治など日本を揺るがす大きな出来事が数多くあり、日本の政治や文化、人々の生活や価値観が大きく変わった激動の時代でした。
そんな昭和時代をその時代の流れと文化、常識という観点から振り返っていきましょう。
昭和時代が始まった時期と終わりかけている時期では、異なる時代に分けても良いほど、様々な変化が起きているため、今回は昭和時代を初期・中期・後期に分けて、どんな時代だったか振り返っていきましょう。
昭和初期の日本は、第一次世界大戦による好況が終わり、戦後恐慌に陥っていました。
戦後恐慌によって銀行の経営状態が悪化し、昭和金融恐慌も起きます。
そこに関東大震災による震災恐慌、アメリカのニューヨークのウォール街で起きた株価の大暴落による世界恐慌も続き、日本の経済状況は悪化の一途を辿り、日本全体が貧しくなりました。
なんとか日本を立て直そうとした軍部が独断で、満洲へ戦争を仕掛け、それがきっかけとなり日中戦争、第二次世界大戦へと突入していきます。
第二次世界大戦はアメリカが日本の広島に原爆投下したことで、日本の敗北が決定し、1945年にポツダム宣言を受諾して戦争は終結。
これにより、日本はGHQ統治の下、あらたな国づくりが始まります。
GHQの統治下で日本の立て直し・あらたな日本を作るために、様々な政策が行われました。
手始めに財閥解体が行われます。
財閥とは血縁関係がある人間で作られた親企業を中心としたグループ企業体のことです。
第二次世界大戦はこの財閥が経済基盤となっていたため、戦争が起こせない経済状態にするために、財閥は解体。
これまで各国の経済制裁により、日本は輸出できない状態でしたが、GHQの統治下ではありますが、輸出が再開します。
輸出が再開した翌年に朝鮮戦争が始まったことで、アメリカ軍との取引が活発となり、日本は好景気となります。
しかし、その好景気も戦争と共に終わり、再び不況へと突入していきます。
そんな不況も重化学工業技術の発展がきっかけとなり、すぐに好景気へと変わりました。
そして「高度経済成長期」と呼ばれる時代へ。
高度経済成長期の日本は毎年、年平均10%前後の水準で成長し続けました。
2019年の日本の成長率は前年比0.3%、2009年まで遡っても前年比5%を超えることはないため、すごい勢いで成長していたことがわかりますね。
高度経済成長期で日本全体が豊かになり、生活水準が一気に上がりました。
日本の家庭にもテレビや冷蔵庫などの電気製品が普及し、海外の食品やインスタント食品なども一般家庭に広まります。
しかし、石油を原材料にした製品の価格が高騰したオイルショックにより、再び不況に陥りますが、ハイテク産業やサービス産業が成長したことで不況は短期間で終わります。
そして、アメリカの円安政策をきっかけに日本はバブル時代と言われる、超好景気時代に突入していきます。
昭和時代は戦争もあり、経済状況は不況と好景気を何度も繰り返しました。
その中で、文化もどんどん変わっていき、人々の暮らしも大きく変化していきます。
ここからは昭和時代の特徴的な文化と、その移り変わりをご紹介いたしますので、ぜひ昭和時代の人々の暮らしや価値観を想像してみてください。
1920年ごろまでは米・魚が日本の食卓の中心でしたが、少しずつ西洋の文化が入り、高度経済成長期に冷蔵庫で食品を保存できるようになり、インスタント食品が販売されたことで、日本の食卓は大きく変化します。
主食の選択肢としてパンやパスタが増え、魚だけでなく肉を食べる機会も増え、ハンバーガーなどアメリカのジャンクフードも外食文化が栄えると共に人気となっていきました。
激動の時代である昭和は、ファッションも大きく変化していきました。
年代ごとに当時の流行したファッションをまとめてご紹介します。
年代 | 流行したファッション |
---|---|
1930年代 | 戦争の影響で日本全体が貧しく、質素で機能性が重視された「かっぽう着」や「もんぺ」を女性は主に着用 |
1940年代 | 戦争が終わり、アメリカファッションであるフレアスカートなどが流行 |
1950年代 | 映画スターのスタイルが流行。その中でも、オードリー・ヘップバーンや映画「太陽の季節」の主人公を真似たスタイルが大流行 |
1960年代 | ヒッピー、モッズ、アイビールックが流行 |
1970年代 | アメリカのサブカルチャー文化が日本にも渡り、ジーンズやダウンジャケットなどカジュアルなスタイルが定着 |
1980年代 | 個性的な服装やタイトなドレスで女性の体形を美しく見せるボディコンが流行 |
このように一口に昭和時代と言っても、ファッションも年代ごとに流行は大きく変わっていきました。
昭和時代のファッションを詳しく調べてみると、人々の価値観の移り変わりもイメージできるので、興味がある方は調べてみてはいかがでしょうか。
昭和時代はアイドル黄金時代とも呼ばれています。
長い昭和時代の中でも1980年代はアイドル全盛期と呼ばれ、松田聖子、中森明菜、小泉今日子といった今でも有名なアイドルが活躍していました。
昭和時代のアイドルは令和時代のアイドルとは異なり、とても大人びている印象を受けます。
アイドルが好きな方は昭和時代と現代のアイドルを比較すると、面白いかもしれません。
皆さんは看板建築という言葉をご存知でしょうか。
日本人でも言葉自体は知らない方は多いと思います。
ただ、看板建築の建物は現代にも数多く残っているため、見たことはあるはず。
看板建築とは、道に接する面だけ看板のように大きく平らになり、銅板やタイルが貼られた木造建築のことです。
1923年に起きた関東大震災によって、当時の東京にあった建物の半数が崩壊・半壊しました。
震災後の復興の中で、流行した建築スタイルが看板建築です。
看板建築の特徴は、以下の通りです。
・正面が平らで銅板やタイルが貼られている
・木造建築
・間口が狭く奥行きがある
看板建物を実際に見るとノスタルジーを感じられるはずです。
映画はその時代の人々の生活や価値観が反映されるものです。
昭和時代に人気だった映画を見て、昭和時代の人々がどんな暮らしをして、どのようなコミュニケーションを取り、価値観がどうだったかを考えてみるのも面白いかもしれません。
昭和時代の若者に大きな影響を与えた映画が、若者の性と暴力を描いた「太陽の季節」です。
この映画に出てくる登場人物は戦後の社会に成長した若者で、既存の価値観を否定したドライで合理的な考え方をし、海辺でセーリングを楽しみ、無秩序な行動や犯罪行為に美学を感じるという設定でした。
この映画が公開された時期の若者にも、当時の価値観を否定する考えがあったためか、「太陽の季節」で描かれた人物の生き方やファッションが大流行。
映画の登場人物を真似た若者たちは、「太陽族」と呼ばれました。
昭和時代の若者に影響を与えた映画を見ることで、当時の価値観や社会を感じ取れるかもしれませんね。
昭和時代に人気を博した俳優・加山雄三が主演を務める「若大将」シリーズでは、高度経済成長期の日本全体が高揚している雰囲気が楽しめます。
「若大将」はどのシリーズも、
「若大将の愛称で親しまれる主人公が何かしらのトラブルに巻き込まれ、トラブルを解決するために奮闘するも、ライバルである「青大将」に妨害され、その妨害を乗り越えてトラブルを解決する」
というストーリー展開です。
高度経済成長期の日本を感じるには、ぴったりの映画と言えます。
昭和を代表する名優・高倉健が主演の「幸福の黄色いハンカチ」は、昭和時代に高い人気を誇った映画で、現在も名作映画として評価されています。
「幸福の黄色いハンカチ」は、失恋した男三人が車一台で北海道を旅し、様々なトラブルに巻き込まれていくロードムービーです。
ありきたりなストーリーではあるものの、出演している俳優の高い演技力もあり、最終的には感動してしまう名作。
まだ見たことがない方は、失恋したタイミングで見てみると、より感情移入できて楽しめるかもしれません。
日本人なら誰もが知っている大人気シリーズ「男はつらいよ」も、昭和時代から放映開始されました。
主人公の「寅さん」が、何かの拍子で東京の下町である葛飾柴又に帰郷し、事件を起こし旅に出て、旅先で恋に落ちるが成就せずに帰郷する。
といった大まかなストーリーはどのシリーズでも同じです。
寅さんが旅先で出会う人、家族との人情溢れる交流から温かさを感じられる映画となっています。
大まかなストーリーは同じだからこそ、人と人との交流から生まれる温かさがより際立つのかもしれませんね。
この映画を見れば、昭和時代に生まれ育ってない人でも「昭和時代の人々の温かさって、こんな感じなのかな」とノスタルジーと昭和時代の温もりを感じるはずです。
現在の葛飾柴又には「葛飾柴又寅さん記念館」があり、シリーズの舞台となった1960年前後の柴又の様子が再現されています。
寅さんが帰ってくる団子屋「くるまや」の、映画で使用されたセットも置いてあり、寅さんファンの方にはぜひ訪れて欲しいスポットです。
今よりも圧倒的に不便な生活をしていた昭和時代。
不便ではありましたが、今よりも大らかで温かい時代でもありました。
また、不況と好況を繰り返しつつも、高度経済成長期もあり、人々が希望に満ち溢れていました。
そんな昭和時代を振り返ると、今では考えられない常識がたくさんあります。
昭和時代の常識を知って、その当時の人々の生活に思いを馳せるのも面白いですよね。
現代ではどんどん喫煙者の肩身が狭くなり、タバコが吸える空間は限られています。
副流煙により、他人の健康に害を及ぼす可能性があるため、それもうなづけますよね。
しかし、昭和では飛行機の座席で普通にタバコが吸えました。
飛行機だけでなく電車や会社の会議室でも喫煙でき、どこにでも灰皿があったと言います。
昭和はテレビの規制も緩く、家族が揃ってテレビを見る夕飯の時間に女性のヌードがテレビで放映されることも多々ありました。
今では深夜番組でも女性のヌードは放映されないので、驚きですよね。
それ以外にも、現在の日本では放映できないような過激な内容のテレビ番組も多くあったので、昭和のテレビ番組を調べてみると面白いかもしれません。
現在の日本ではお酒やタバコは20歳以上ではないと買えません。
19歳以下だと思われた場合、店員に身分証の提示を求められる場合もあります。
しかし、昭和の時代では、おつかいで子どもがお酒やタバコを買うことはざらでした。
学校で先生が生徒を指導する時にビンタなどの体罰は普通でした。
むしろ、親から先生に悪いことしたら殴ってくださいと頼んだりしていました。
体罰は教育上、必要だと考えられていたようですね。
これも今では考えられない常識ですよね。
大きく変動した時代であり、希望に満ち溢れ温かい時代でもあった昭和時代。
そんな昭和時代の雰囲気を感じられるスポットをご紹介いたします。
昭和時代の雰囲気を感じたいという方は、ぜひ足を運んでみてください。
世界各地のご当地ラーメンが食べられる、ラーメンをテーマにした博物館。
あれ、昭和と関係があるのかな?と思ったかもしれません。
実は、館内は昭和33年の町並みを再現しています。
そのため、ラーメンと共に昭和時代の雰囲気も楽しめます。
全長約670mと長く続く砂町銀座商店街には、先ほどご紹介した看板建築の建物が残っています。
商店街では焼き鳥やおでんなどを食べ歩きでき、昭和のレトロな雰囲気とグルメを一度に味わえるため、ぜひ一度訪れてみてください。
渋谷駅の一角にある40店舗弱が集まるのんべえ横丁。
昭和レトロ感ある店舗が集まっており、お酒とグルメを昭和レトロな雰囲気で楽しめます。