歴史を知れば日本旅行がもっと楽しめる!「日本の歴史」をわかりやすく解説
観光スポットや歴史的建造物など、観光でよく訪れる場所の背景を知れば、日本をもっと楽しめるはず。 その背景となるのは当然、日本の歴史です。 原始時代から綿々と続く日本の歴史の流れと、各時代ごとに起きた主な出来事を一挙にご紹介。 日本を旅行する前に、日本の歴史を勉強してみてはいかがでしょうか。
武力で領土と権力を獲得できた下克上の時代
これまで天下を治めていた室町幕府の力が弱まり、権力を持っていなかった武士が下克上で権力と領土を勝ち取っていった戦国時代。
武力で成り上がれた戦国時代には数多くのドラマがありました。
そのため、テレビドラマやアニメの題材になることも多く、「なんとなく武将や戦の名前を知っているけど、戦国時代がどんな時代かは知らない」という方も少なくないと思います。
戦国時代の流れと有名な武将、大きな合戦を振り返り、戦国時代のことをもっと深く知っていきましょう。
戦国時代がいつからいつまでか、自信を持って答えられる人は少ないのではないでしょうか。
戦国時代は応仁の乱が起きた1467年から始まり、1615年の大阪夏の陣で終わります。
戦国時代がいつ終わるかは諸説あり、織田信長が室町幕府を滅した1573年までとする説もあります。
この記事では前者の1615年の大坂夏の陣まで、という説を採用して振り返っていきます。
足利尊氏(あしかが たかうじ)によって樹立された、室町幕府が政権を握っていた室町時代。
少しずつ将軍の力が弱まり、8代目将軍・足利義政(あしかが よしまさ)の後継者争い「応仁の乱」が11年続き、争いが終わった頃には幕府は完全に、軍事力も民衆の信頼も無くなっていました。
力と信頼を失った幕府と共に、地域の支配者であった守護大名も力を失い、その代わりに各地の有力な武士達が台頭していきます。
これまでの権力者に武士達が戦を挑み、武力で権力を奪い取る、下克上が各地で起こり、戦国時代が始まります。
下克上で権力と領土を持った武士達は戦国大名と呼ばれました。
戦国時代が始まったばかりの時期は、地域の豪族や武将がその地域を取り合う戦がメインでした。
各地域を統治する武将が定まっていくと、次第に統治した地域周辺の侵略も始まります。
その中で、最初に戦国大名と呼べるほどの権力と領土を獲得したのは北条家。
北条家の台頭によって、さらに権力と領土を奪い合う戦は激化していきます。
各地の戦が激化していく中、「桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)」で織田信長(おだ のぶなが)が名を上げます。
名を上げた織田信長は室町幕府の15代目将軍・足利義昭(あしかが よしあき)を担ぎ上げて入京し、天下統一を宣言。
有言実行とするべく、各地域を侵略して治めていきますが、家臣であった明智光秀(あけちみつひで)による謀反、本能寺の変にて亡くなってしまいます。
明智光秀は、同じく織田信長の家臣だった豊臣秀吉によって討たれます。
その後、豊臣秀吉は織田信長の後継者争いで大きな権力を得ることに成功。
さらに天皇から公家の最高地位である関白の地位に任命され、その権力を強めます。
その強大な権力を使って地域を平定していき、遂に天下を統一。
天下統一後、豊臣秀吉は中国進出を目指すも、志半ばで死去。
豊臣秀吉の死後、家臣であった徳川家康が勢力を伸ばし、天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」で石田三成(いしだ みつなり)に勝利。
戦に勝利した徳川家康は、勢力を持っていた豊臣家を大幅に縮小させました。
そして、朝廷から征夷大将軍に任命され、日本の最高権力者となり江戸幕府を開き、徳川家康の天下が始まります。
細々と続いていた豊臣家は「大阪夏の陣」で徳川家康に滅ぼされ、約140年も続いた戦乱の世、戦国時代は終わります。
大規模な戦や歴史を変えた3つの合戦があり、日本三大合戦と呼ばれています。
日本三大合戦のうち、2つの合戦が戦国時代の戦です。
このことからも、いかに戦国時代の合戦が激しく、日本の歴史を左右するものだったかが分かりますね。
日本三大合戦のうち、戦国時代に行われた2つの合戦をご紹介します。
関ヶ原の戦いは日本史上最も有名な戦と言っても過言ではありません。
天下を統一していた豊臣秀吉の実質的な後継者を決める戦で、徳川家康の軍と石田三成の軍が関ヶ原でぶつかり、最終的には徳川家康の軍が勝利しました。
戦国時代の武将の中でも、合戦の強さで群を抜いていた「軍神・上杉謙信(うえすぎけんしん)」と「戦国最強・武田信玄(たけだしんげん)」によって、5回にもわたって繰り広げられた合戦が川中島の戦いです。
4度目の合戦では、上杉謙信と武田信玄による一騎討ちがあったと言われています。
川中島の戦いは5回目の合戦では両軍が撤退し、勝敗がつかないまま合戦は終わりました。
川中島の戦いは12年続き、その間に織田信長が台頭し天下統一を進めていきます。
もし、この川中島の戦いがなく、上杉謙信と武田信玄が同盟を組んで織田信長に対抗していたら、歴史は大きく変わっていたかもしれません。
そう言った意味では、川中島の戦いも歴史を変えた戦と言えます。
戦国時代には、多くの戦国武将が活躍しました。
軍神・上杉謙信、戦国最強と謳われた武田信玄、独眼竜政宗・伊達政宗(だて まさむね)、最後まで徳川家康に立ち向かった真田幸村(さなだ ゆきむら)、本能寺の変を起こした明智光秀など、名前を上げきれないほどの多くの武将が夢や希望を抱いて合戦を続けていました。
そんな戦国武将の中でも、天下統一を目指した織田信長・豊臣秀吉・徳川家康は戦国三大英傑と呼ばれています。
戦国時代はこの3名の武将を中心に語られることが多いため、まずはこの3名がどんな武将か知っておきましょう。
戦国時代の日本で初めて天下統一を宣言し、目指した織田信長。
その合理的で革命的な戦や政治手腕、敵に対する非情さから戦国時代の日本に多くの影響を与えました。
天下統一まであと一歩の段階で、家臣の明智光秀の謀反によって討たれてしまいますが、そのカリスマ性から現代でも絶大な人気を誇る武将です。
貧しい農家の息子として生まれたにもかかわらず、織田信長の家臣として出世し、織田信長の実質的な後継者となり、遂には公家の最高権力である関白として任命されるまでとなった出世人。
そして、戦乱の世を最初に統一した天下人となりました。
下克上の時代とはいえ、貧しい農家がここまで出世することは異例。
織田信長とはまた違ったタイプの天才であった武将です。
戦国時代に終止符を打った徳川家康。
子供時代は人質として過ごし、織田信長と豊臣秀吉が天下を取った時代にも耐え忍び、時には狡猾に動き、最終的に天下を統一した武将です。
徳川家康が開いた江戸幕府は約260年も続き、安定した時代を築き上げました。
数多くの武将が熱い想いを合戦でぶつけあった戦国時代には、数多くのドラマがありました。
そんな戦国時代を題材としたアニメ・マンガ・ゲームは現代でも人気を博しています。
アニメ・マンガ・ゲームを通して、戦国時代の魅力を感じることは、戦国時代を面白く知るために最も有力な手段と言えます。
戦国BASARAはカプコンから発売された戦国時代を舞台としたアクションゲームで、その人気からアニメにもなっています。
戦国時代の合戦を有名な武将を操作して戦うゲームで、歴史上の有名な武将や戦が多く出てきます。
「勉強としての歴史は嫌いだけど、戦国時代には興味がある」という方は戦国BASARAのゲームやアニメから、戦国時代を知っていくのも良いかもしれません。
現代と戦国時代を行き来できる女子高生「かごめ」と半分妖怪の「犬夜叉」の冒険活劇「犬夜叉」。
マンガとアニメどちらも大人気です。
戦国時代の武将や有名な合戦は出てきませんが、戦国時代の日本の雰囲気や文化を楽しめます。
織田信長が実はタイムスリップしてきた現代の高校生だったという設定のマンガ・テレビドラマです。
タイムスリップしてきた高校生は、戦国時代と現代とのギャップに衝撃を受けながらも、少しずつ戦国時代に慣れていき、織田信長として天下統一を目指していきます。
豊臣秀吉や徳川家康など、有名な武将も数多く登場します。
織田信長の視点で戦国時代を追っていけるため、織田信長ファンにはお勧めです。
戦国時代が始まった頃のお城は軍事拠点としての役割しかありませんでした。
時代が進むごとに行政の拠点として使われたり、武将の威厳を示すための役割を持ったりと、様々な役割が増えていきました。
そのため、戦国時代の武将にとって、お城は大変重要なものでした。
戦国時代には多くのお城が建てられましたが、その中でも三英傑が築いたお城に絞ってご紹介します。
今回ご紹介するお城は現代に残っているものもあるため、戦国時代の文化を感じられるお城へ訪れてみてはいかがでしょうか。
これまで軍事拠点としての役割しか持たなかったお城に、武将の権力を象徴する役割を持たせたのは織田信長が初めてだと言われています。
織田信長が築城した安土城は、当時の木造高層建築で1番の高さを誇る天守がありました。
それだけでなく、豪華絢爛で金箔が施された瓦を使用していたり、天井や柱が全て朱塗りになっている階があったりと、当時のお城の概念を覆しました。
残念ながら、安土城は築城からわずか6年で廃城となり、現在はお城の跡が残っているだけです。
織田信長が築城したお城ではありませんが、天下統一の拠点とした岐阜城は残っているため、織田信長がどんなお城に住んでいたか知りたい方は岐阜城へ訪れることをお勧めします。
織田信長の死後、絶対的な権力を持った豊臣秀吉はその権力を示すために、豪華絢爛な大阪城を築城しました。
五重の天守は当時の最先端技術を使って建てられ、金銀もふんだんに使われ、訪れるものを圧倒させるお城でした。
豊臣秀吉の繁栄を示すお城である大阪城ですが、豊臣家が滅びた場所でもあります。
豊臣家の栄枯盛衰を共にした大阪城は現代にも残っているため、天下統一した武将の権力を示すお城へ訪れてみるのはいかがでしょうか。
天下分け目の戦、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が上洛するために築城したお城が二条城です。
3代目将軍、徳川家光(とくがわ いえみつ)の時代に天皇を迎えるために豪華絢爛なお城へと改修され、その豪華絢爛さで徳川家の威光を世の中に示しました。
現代にもお城は残っており、「古都京都の文化財」の一つとして、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。