日本の通貨「円」の歴史・貨幣の種類を知る
世界的に見ても日本紙幣は綺麗かつ偽造されにくく、初めて外国人が見ると驚くことも多い。
デザインも多彩で品質も良く、まさにMade in JAPANと言える。
しかし、現在の貨幣管理が始まったのは戦後以降で、それまでに様々な変遷を経てきた。
この記事では、日本のお金の成り立ちや現在に至るまでの貨幣の歴史、通貨の種類について紹介していく。
日本ならではの貨幣の特徴・決済手段のほか、発行および管理方法など「円」を詳しく解説していくので、
ぜひ最後まで読んで日本の歴史・文化への理解を深めてほしい。
日本円の種類・単位
日本の通貨の単位は「円」、国際通貨コードはJPYである。
世界の主要な通貨のひとつとして、国際的な金融市場で広く使われている。
由来は明らかになっていないがローマ字で「yen」と表記される場合や、「\」を用いるケースも多い。
日本円は硬貨と紙幣に分かれており、現在は6種類の硬貨と4種類の紙幣の計10種類が発行されている。
詳しくは後述するが5円玉と50円玉は中央に穴が空いていて、これは世界的に見ても珍しい。
また、紙幣は諸外国と比べると汚れ・シワが少なく、綺麗に感じる訪日観光客が多いのも特徴だ。
- 硬貨
-
・1円玉
・5円玉
・10円玉
・50円玉
・100円玉
・500円玉 - 紙幣
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・1,000円札
・2,000円札
・5,000円札
・10,000円札
一般公募でデザインが決まった「1円玉」
アルミニウムで製造される「1円玉」は硬貨の中で最も軽い。
表面には中央に「若木(わかぎ)」、上下に「日本国」と「一円」が、裏面には数字の「1」と製造年がデザインされている。
「若木」は特定の植物を指すものではなく(若木の名を持つ樹木は存在しない)、伸びゆく日本の象徴として選ばれた。
一般公募によってデザインが決まった唯一の硬貨というのも特徴のひとつ。
「若木」の葉は8枚から成っているので、注目してみよう。
ユニークな特徴を持つ「5円玉」
黄金色に穴の空いた「5円玉」は、硬貨の中でユニークな特徴を持つ。
表面には日本の農業・水産業・工業をイメージした「稲穂・水・歯車」が中央から上部に描かれ、下部には「五円」の文字を配置したデザイン。
裏面は穴の左右に、新しい成長と民主主義への希望を表す「双葉」が描かれ、上部に「日本国」、下部に製造年が記されている。
硬貨は漢数字のみの表記(アラビア数字の表記なし)なので、漢字がわからない訪日外国人旅行者などは読めない(額を把握できない)だろう。
偽造対策も兼ねた緻密なデザインの「10円玉」
茶色の見た目が印象的な「10円玉」は、自動販売機で使える最少額の硬貨。
表面の中央に世界遺産「平等院鳳凰堂」、上下には「日本国」と「十円」の文字が配置され、周囲が唐草模様であしらわれたデザインが特徴。
裏面には「10」と製造年、その周りをリボンで包まれた「常盤木(ときわぎ/松・杉など常緑樹)」が描かれている。
偽装対策の意味も含めて採用された、「平等院鳳凰堂」の緻密なデザインに注目してほしい。
また主に 1951年〜1958年製造の「10円玉」には縁に溝が彫られており、触感がギザギザするため「ギザ十」と呼ばれる。
現在はあまり流通していないが、豆知識程度に覚えておくと良いだろう。
中心に穴が空いた硬貨「50円玉」
「50円玉」は初めて発行された当時は、穴なしの硬貨であった。
1959年から穴あきデザインに変更、現在流通の「50円玉」は1967年から使用が始まった。
表面は穴の左右に三輪の「菊の花」が、穴の上部に「日本国」、下部に「五十円」の文字がデザインされている。
裏面には穴の上部にアラビア数字で「50」、下部に製造年が刻まれており、硬貨の側面に120本のギザギザが付いているのも特徴だ。
日常生活で使用頻度の高い「100円玉」
「100円玉」は使い勝手が良く、普段の生活で日本人が一番使用する硬貨だ。
表面には日本の国花でもある三輪の「山桜」に、「日本国(上部)」と「百円(下部)」を配置したデザインが特徴。
裏面はアラビア数字で大きく「100」が刻まれ、その下に製造年が記されている。
また103本のギザが側面に付いているので、「50円玉」と比較してみても面白いだろう。
最新技術が使用されている「500円玉」
日本の硬貨の中で最も高額な「500円玉」は、現在2種類(旧型・新型)のデザインが流通している。
旧型のタイプは表面に「桐(広葉樹)」、「日本国(上部)」と「五百円(下部)」、裏面には中央に「500」と製造年、四方に「竹の葉・橘・小枝」が描かれている。
2021年から発行された新型のタイプもほぼ一緒だが、0.1グラム重いほか、一部のデザインが変更された。
大きな特徴は3種類の素材と最新の技術を採用し、硬貨の側面に施された世界初の異形斜めギザ。
貨幣表面の縁に「JAPAN」と「500YEN」が映る微細文字の加工も注目のポイント。
さらに、裏面を上から見ると「500」の”0”の部分に「JAPAN」、下から見ると「500YEN」が角度によって見え隠れする高度な技術もチェックしてほしい。
2タイプとも流通しているので、見比べると違いがはっきりわかるはずだ。
2024年7月3日に新紙幣が発行された
日本では2024年の7月3日に新紙幣が発行された(2,000円札を除く)。
最新の技術を導入したうえで、デザイン・肖像の変更も発表済みだ。
日本に訪れたタイミング次第では、同じ紙幣ながら異なるデザインのお札を見られるかもしれない。
旧札に関しては7月4日以降も使用できるので、手元にある方は安心してほしい。
ちなみに旧札には、感染症の克服に貢献した細菌学者・野口英世(のぐち ひでよ)が1,000円札に、明治時代(1868年〜1912年)の小説家・樋口一葉(ひぐち いちよう)が5,000円札、同じく明治時代に活躍した啓蒙思想家・福澤諭吉(ふくざわ ゆきち)が10,000円札の肖像画が採用されていた。
ここでは新たなデザインとお札の顔となる人物の功績を紹介する。
近代日本医学の父が採用された「1,000円札」
青系統を基調とした「1,000円札」の表面には、”近代日本医学の父”と称される細菌学者・北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)の肖像が採用された。
裏面には世界的にも有名な浮世絵師・葛飾北斎(かつしかほくさい)の「富嶽三十六景(神奈川沖浪裏)」が描かれている。
北里柴三郎は1889年に世界で初めて破傷風菌(はしょうふうきん)の純粋培養に成功し、現代の予防接種の基礎となった破傷風の血清療法を開発する。
またペスト菌の発見をはじめ、様々な伝染病に関する研究のほか、日本医師会の設立や慶応義塾大学医学部の創設など後進の育成にも尽力した。
今日までの医学研究・教育・行政の発展、そして社会全体の健康向上に大きな影響を与えた人物と言えるだろう。
女性の地位向上と教育に尽力した人物が採用された「5,000円札」
紫色系を基調にしている「新5,000円札」には、日本の女性教育の近代化に大きく貢献した教育家・津田梅子(つだうめこ)の肖像が採用された。
「新5,000円札」の透かし部分は左寄せ、中央に大きく「5000」と配置したデザインも特徴だ。
裏面には、日本書紀・古事記(日本最古の歴史書)にも登場し、古くから親しまれている日本の伝統的な花「ノダフジ(藤)」が描かれている。
津田梅子は6歳の時に日本で最初の留学生として岩倉使節団に随行し、アメリカに約11年間滞在する。
帰国後は女子英学塾(現:津田塾大学)の設立を筆頭に、女性の地位向上と女子教育に生涯を通じて尽力した。
また、日本人女性で初めて欧米の学術雑誌に論文が掲載された人物と言われており、その功績は国内外で高い評価を受けている。
約500もの企業創業に関わった実業家が採用された「10,000円札」
日本の紙幣の中で最高額の「新10,000円札」には、”日本資本主義の父”と呼ばれる実業家・渋沢栄一(しぶさわえいいち)の肖像が採用された。
現在と同様に基調色は褐色系だが、ややカラフルに変わったのも特徴だ。
また漢数字は「一」でなく「壱」、数字の「1」は千円札と異なる字体になっている点にも注目しよう。
裏面には、”赤レンガ駅舎”として親しまれた重要文化財の「東京駅・丸の内駅舎」が描かれている。
渋沢栄一は、日本初の株式会社かつ銀行である第一国立銀行(現:みずほ銀行)をはじめ、JR東日本・キリンビールなど約500の企業創業に関わった経歴を持つ。
今日に至るまで金融システムの確立、富岡製糸場や帝国ホテルの設立ら、経済・産業基盤の構築に大きく貢献している。
同時に約600の公共事業の設立・支援にも尽力するなど活動は多岐に渡り、経営学者・ピーター・ドラッカーからもその手腕が認められた。
見かけることが少ない珍しい紙幣「2,000円札」
「2,000円札」は西暦2000年のミレニアムと沖縄サミットを記念に発行された。
表面は左側に「弐千円」の文字、右側に首里城「守礼門」と山桜・野紺菊の地模様が上部にあしらわれている。
沖縄県那覇市にある「守礼門」は県の指定有形文化財で、琉球王国の歴史を今に伝える重要な建造物だ。
一方で裏面は「源氏物語絵巻」と「紫式部日記絵巻」から、図柄を採用したデザインになっている。
前者は光源氏(ひかるげんじ)と冷泉院(れいぜいいん)が描かれた「鈴虫」の絵図が特徴。
後者は紫式部(むらさきしきぶ)が、藤原実重(ふじわらのさねしげ)・藤原成房(ふじわらのなりふさ)に抗議するために蔀戸(しとみど)を上げている図柄が描かれている。
「2,000円札」は2003年を最後に増刷されておらず、現在は沖縄を除きあまり流通していないため、出会えたらラッキーかもしれない。
約20年に一度変わる日本円の貨幣・通貨
日本では紙幣・貨幣が原則として、約20年周期で改定および刷新される。
主な理由は、紙幣の偽造防止と時代の潮流を踏まえた使いやすさの向上が挙げられる。
国民が安心してお金を使うには、偽造通貨の出回りによる被害を未然に防ぐことが重要だ。
現行の紙幣は2004年から発行されたものだが、その間に印刷技術は大きく進歩を遂げた。
偽造リスクをより軽減するために、今回の改刷でも緻密な画線で模様を施した「高精細すき入れ」、見る角度で肖像画の向きが変わる「3Dホログラム」が採用となった。
また、目の不自由な方や外国人を含むすべての人が使いやすい通貨を目指し、ユニバーサルデザインの考え方を取り入れたデザイン変更も行われる。
高度な偽造防止技術と耐久性を持つ日本円の硬貨と紙幣
世界的に見ても、日本円の紙幣・貨幣には高度な偽造防止技術が使用されている。
上述した「3Dホログラム」は世界で初めて銀行券への採用となった。
その他にも、透かしや特殊なインク、微細なデザインなどの様々な技術が取り入れられ、偽造を困難にしている。
また、日本円の紙幣は耐久性が非常に高く、長期間の使用にも耐えるのが特徴だ。
耐水性・耐引裂性に優れたみつまたやアバカなどを原料としており、丈夫で特殊かつ独特な感触の紙幣が生み出される。
そのため使用頻度が高く、取り扱いが激しい状況でも劣化しにくく、機能性と美しさを兼ね備えた通貨として高い評価を受けている。
日本でよく使われる決済手段
日本では現金での支払いが依然として主要な決済手段である。
キャッシュレス化が進んでいるものの、2023年の決済比率は39.3%と他の先進国に比べると水準が低い。(韓国:約95%、中国:約77%)
そのため、支払いを現金のみの対応としているお店・施設もそれなりに存在する。
都心部のお店、百貨店や大型ショッピングモールなどでは、現金以外も使えるケースが多いが、日本旅行する際は現金もある程度用意しておくのがお勧め。
例えば、一部の飲食店・神社仏閣(お賽銭)はキャッシュレス不可なので注意しよう。
現金以外の決算手段としては、以下の4つが挙げられる。
- クレジットカード(Visa・Mastercardなど)
- 電子マネー、交通系ICカード(Suica・PASMOなど)
- QRコード(PayPay・LINE Payなど)
- デビットカード
また日本には、チップを支払うという文化は基本的にない。
レストランの食事代、ホテルの宿泊料などは、サービス料が含まれた金額になっている。
ほとんどの日本人はチップを受け取らないので気にせずに満喫してほしい。
日本の貨幣の歴史と変遷
古代の日本ではお互いにほしいものを交換する「物々交換」をして暮らしていた。
次第に”お米・塩・布”などが「物品貨幣」となり、これらが貨幣の役割を果たした。
その後、貨幣が初めて日本に登場し現代に至る。
これまでの日本の貨幣の歴史と変遷を時系列で、詳しく説明していこう。
日本初の貨幣「富本銭」
日本初の貨幣は、7世紀後半に鋳造された「富本銭(ふほんせん)」と言われている。
円形方孔の形状をした中国のお金をモデルにしており、日本独自の貨幣として流通した。
708年には、日本で最初の公的な鋳造貨幣で知られる「和同開珎(わどうかいちん)」が発行される。
約250年の間に12種類の銅銭(皇朝十二銭)の鋳造が行われるも、財政難・原料不足から徐々に質が落ち、国民の信頼を失う。
その結果、958年の発行を最後に公的な貨幣の鋳造を中止し、再び「物品貨幣」の時代に戻ってしまった。
中国のお金が使われた平安時代
平安時代(794年〜1185年)に貨幣の鋳造を止めてから約600年の間、日本では正式なお金が作られなかった。
この期間に代わりに使われたのが、中国から輸入された「渡来銭(とらいせん)」。
宋(現在の中国)の創建後、日宋貿易が盛んになり宋銭が大量に流入し広く普及する。
しかし1400年代には、個人が宋銭を模倣し作った「私鋳銭(しちゅうせん)」ら、粗悪な銭貨が出回った。
品質・種類・大きさがバラバラで、どのお金にどのくらいの価値があるかも定かではなかったが、金属の質で判断していたようだ。
金貨・銀貨の登場
精錬技術の発達で、「金」や「銀」が使われるようになった戦国時代(1467年〜1590年)に入ると、これらの状況に変化が起き始める。
軍資金を確保するために戦国武将は、金山・銀山の開発、貨幣鋳造に取り組み支配力を高めた。
特に武田信玄(たけだしんげん)が鋳造した「甲州金(こうしゅうきん)」は、日本初の金貨として有名だ。
さらに実権を握った豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、1587年から金貨・銀貨の鋳造を始め、通貨単位の統一も目指す。
中でも、褒美用で使われた「天正長大判(てんしょうながおおばん)」はよく知られている。
貨幣の統一
徳川家康(とくがわいえやす)が天下統一し、江戸時代(1603年〜1868年)が始まると、大きさ・質に応じて5種類の金銀貨が発行される。
この時、ようやく貨幣の統一となった。
さらに3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)によって、銅銭「寛永通寳(かんえいつうほう)」が作られる。
これによって金・銀・銅の「三貨制度」が確立、各金貨に「両」・「貫」・「文」といった単位も生まれ、日本独特の文化を形成していく。
また、三貨の交換を行う”両替商”が発達し、現在における銀行のような役割を担っていた。
貨幣通貨「円」の導入
江戸幕府が崩壊し明治時代(1868年〜1912年)に入ったものの、通貨制度は引き継がれていたため、経済の混乱を招いていた。
明治政府は1871年に「新貨条例」を公布し、金本位制(金と紙幣の交換を行う)のもと「円(銭・厘)」という新しい単位を導入する。
同時に従来の4進法から10進法への変更も行う。
「政府紙幣」・「国立銀行紙幣」などが発行されたが、偽札の出回りや欠点の発覚により定着には至らなかった。
さらに1877年には紙幣の大量発行により、インフレーションを引き起こし、通貨価値の安定に迫られる。
そこで、1882年に日本の中央銀行として日本銀行が設立、1885年に「日本銀行券」の発行を正式に行った。
初めての紙幣は「旧十円券」が選ばれ、デザインには大黒天が描かれている。
戦後における通貨の管理
1942年になると、現在と同様に政府や日本銀行が通貨の管理・調整をするようになる。
終戦後には再びインフレーションを引き起こしたため、「新円切り替え」と呼ばれる措置を実施し、古いお金を回収した。
さらに1950年に「新千円札」の発行、1953年に「銭(せん)」の単位が廃止された。
現代における紙幣と貨幣の発行管理
現代の紙幣と貨幣の発行管理は、日本銀行と政府の間で厳格に分けられている。
紙幣は日本銀行が唯一の発行機関として機能し、製造(独立行政法人国立印刷局)・流通(金融機関)・管理を行う。
紙幣が日本銀行に戻ると真偽鑑定(枚数・偽造・変造の有無の確認など)が行われ、流通に適さないものは廃棄となり役目を終える。
一方で、貨幣は政府が発行、製造(独立行政法人造幣局)した後、日本銀行に交付され流通していく。
貨幣も紙幣と同様に、各種金融機関が日本銀行に保有する当座預金を引き出すことによって、世の中に送り出される。
円に関する豆知識
最後に日本の「円」に関する豆知識を4つ紹介したい。
これらの豆知識を知れば、日本の通貨をより身近に感じられ親しみもわくだろう。
知っておいて損はないので、移動中や隙間時間に家族・友人などに話すのもお勧めだ。
紙幣の人物が選ばれる条件は?
紙幣の人物選定は、財務省・日本銀行・国立印刷局の三者による協議の結果、最終的には財務大臣によって決定する。
選定基準は、偽造防止、品格および国民的な知名度という三つの主要要素に基づく。
その他、歴史的な功労者や文化人を称える目的も含まれている。
具体的には以下のような条件が挙げられる。
- 明治時代以降に活躍した文化人
- 日本国民に広く知られ、業績が国内外で認められている人物
- 社会的に尊敬され、紙幣にふさわしい品格のある人物
- 細部に至るまで正確な肖像画もしくは写真が現存する人物 ※偽造防止のため
2004年から使用が始まった現在の「5,000円」で、女性として初めて小説家・樋口一葉(ひぐちいちよう)が選ばれた。
新紙幣でも津田梅子が採用されており、時代の多様性を反映していると言えるだろう。
5円玉と50円玉に穴が空いている理由
「5円玉」と「50円玉」に穴が空いているのには、大きく3つの理由がある。
1つ目は偽造防止。
硬貨の種類が増えると、似たようなサイズや材質の貨幣を発行せざるを得なくなり、偽造の危険性も高まる。
そこで、穴をあけて加工しにくいように工夫をした。
2つ目は識別のしやすさ。
「5円玉」と「10円玉」、「50円玉」と「100円玉」は、それぞれサイズが同じぐらいで質感も似ており、区別を容易にするために穴が開けられた。
また視覚障がいのある方にも配慮し、手で触れた時にすぐに識別できるようにという役割も持つ。
3つ目はコスト削減。
「5円玉」が発行された1948年当初は、「1円玉」と「10円玉」も銅で作られていた。
戦後の資源不足を考慮し、「5円玉」は穴を開けるデザインを採用。
上述したように「50円玉」に関しては、1959年から穴開きになったが「100円玉」との相対的な価値を比較したのが理由だ。
5円玉は縁起の良い硬貨?
日本では「5円玉」は縁起の良い硬貨として広く認識されている。
黄金色の見た目に加えて、中央の穴から「見通しが良い」という意味合いを持ち、良い縁をつなぐと言われるのがその理由だ。
また、”五円”が”ご縁”と通ずるため、神社仏閣へのお賽銭として使う日本人も多い。
枚数によって意味が異なるとされているのも特徴だ。
例えば、3枚(15円)は”十分にご縁がありますように”、7枚(35円)は”再三ご縁がありますように”といった語呂合わせが存在する。
日本で参拝する機会があるならば、これらのゲンを担ぎ、仏様や神様にご祈願してみてはいかがだろうか。
手に入れたらラッキー?発行部数が限られた記念貨幣
歴史的イベントや国内の大きな節目などを記念して発行される貨幣は、「記念貨幣」や「記念硬貨」などと呼ばれている。
例えば、2025年の日本国際博覧会の開催を記念して作られた1,000円の銀貨幣や、天皇の即位を記念して作られた10,000円の金貨幣などがある。
その他にも、ワールドカップやオリンピックの開催時や、裁判所制度100周年、内閣制度が始まって100周年に発行されたものなど、多くの種類がある。記念貨幣によって大きさやデザイン、金額、発行される枚数も異なるが、これまで紹介してきた紙幣や貨幣と同じく、買い物でも使用可能だ。
ただし、自動販売機などでは使用できないこともある。
発行枚数が少ない記念貨幣はコレクターの間で、実際に使用できる金額よりも高い金額で取引されている。
もし旅行中の買い物などで手に入れば、大事に保存しても良いかもしれない。
発売中の記念貨幣で欲しいものがあれば、日本旅行の記念に取り扱いのある金融機関や造幣局で購入してみるのもお勧めだ。
日本円に関するよくある質問
Q
「円」の名前の由来は?
正確な由来については不明です。”お金の形をすべて「円」形に統一したため "、"「圓(えん)」という中国の通貨単位に由来する”の2つが有力とされています。
Q
「円」は日本以外でも使われているの?
現在は使われていませんが、2014年から2019年まではアフリカのジンバブエでも「円」が法定通貨でした。
まとめ
日本の通貨「円」に関する歴史・豆知識とともに、通貨の種類・管理の方法などを説明してきた。
2024年7月3日からは3枚の新紙幣が発行され、貨幣の歴史に新たなページが刻まれた。
10種類の通貨にはそれぞれ特色があり、細かな工夫も施されているので、日本に訪れた際は見比べて楽しんでほしい。
以下の記事は原始時代から綿々と続く日本の歴史の流れと、各時代ごとに起きた主な出来事を一挙にご紹介。興味があれば合わせて読んでみてほしい。