崇福寺

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崇福寺

信長公が菩提所として厚く保護した寺院。

更新 :
監修 : 崇福寺

臨済宗妙心寺派に属す、1511年に創建された寺院。織田信長公が1567年に岐阜に移った際、菩提所として保護した。

信長公と息子の信忠公の位牌が安置されている「織田信長父子廟」を、庭園で拝観することができる。本能寺の変で信長公と息子の信忠公が明智光秀の裏切りに合い討たれると、信長公の側室お鍋の方によって遺品がこの寺に送られた。毎年11月の第1土曜日の「ぎふ信長まつり」の日には、同寺院で「織田信長公追悼式」が営まれる。

本堂にある「血天井」も戦国時代の歴史を語る貴重な史料。信長公の孫、秀信公が1600年の関ヶ原の戦いで西軍の石田三成に加担したため、岐阜城は東軍から猛攻撃を浴びた。この時戦死した兵の菩提を弔うため、岐阜城の床板をこの寺院の本堂の天井に張ったという。現在でも血痕が付着しているのを見ることができ、当時の戦闘の激しさがうかがえる。

ポイント

  • 信長公と息子信忠公の位牌を安置する寺院。
  • 毎年11月の第1土曜日に「織田信長公追悼式」が営まれる。
  • 岐阜城落城を物語る「血天井」が今なお本堂に残る。

写真

  • 本堂の裏にある「織田信長公父子廟」

    本堂の裏にある「織田信長公父子廟」

  • 「織田信長公父子廟」の右側にある位牌堂には父子の位牌が安置されている

    「織田信長公父子廟」の右側にある位牌堂には父子の位牌が安置されている

  • 信長公が岐阜に入った際、若くして亡くなった側室吉乃の菩提所としてこの寺に位牌を移した

    信長公が岐阜に入った際、若くして亡くなった側室吉乃の菩提所としてこの寺に位牌を移した

  • 本堂で見られる「血天井」。1600年に起こった関ヶ原の戦いの約1ヶ月ほど前に攻撃を受け、落城した岐阜城の歴史を物語っている

    本堂で見られる「血天井」。1600年に起こった関ヶ原の戦いの約1ヶ月ほど前に攻撃を受け、落城した岐阜城の歴史を物語っている

  • 1511年に創建された臨済宗の寺院

    1511年に創建された臨済宗の寺院

  • 本堂では織田家にまつわる貴重な史料を見ることができる

    本堂では織田家にまつわる貴重な史料を見ることができる

公式FAQ

よくある質問に対する掲載施設の公式回答です。

Q

外国語のパンフレット等はありますか?(可能な場合、対応言語もお知らせください)

A

ありません。

Q

御朱印はありますか。

A

あります。

Q

駐車場はありますか?

A

18台、バス2台あります。

Q

コインロッカーはありますか?

A

ありません。

Q

喫煙スペースはありますか?

A

ありません。

口コミ

基本情報

日本語名称
崇福寺
郵便番号
502-0817
住所
岐阜県岐阜市長良福光2403-1
電話
058-231-2613
定休日
1/15、5/7、8/1、8/5
時間
9:00~17:00(11~2月~16:30)
料金
拝観料大人200円、小人150円
アクセス
JR「岐阜」駅または名鉄「名鉄岐阜」駅から市内ループ左回りバスで約18分、「長良川国際会議場北口」バス停下車、徒歩約3分
クレジットカード
不可
公式サイト
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