
謎に包まれた忍者の秘密を解き明かす!
多くが謎に包まれている日本の代表的な文化のひとつ「忍者」。多くの方は、黒っぽい服装で身を包み、手裏剣で敵を攻撃し、忍術を使ってドロン!と消える…というようなイメージをもたれているのではないでしょうか。
忍者を知ることで、日本人にどういう精神性があるのかも学ぶことができます。今回は世界中から大人気の忍者の知られざる活動と、日本で忍者が体験できるミュージアムをご紹介します!
はじめに - 忍者とは
実際、忍者とはどのような存在なのでしょうか。
忍者の文化を世界に発信し、国や忍者に関わる自治体、忍者の子孫、歴史学者などで構成されている、世界で唯一の忍者の公式組織「日本忍者協議会」による「忍者」の定義によりますと:
「忍者は歴史的には「忍び」と呼ばれ、史料上確実に存在が確認できるのは、南北朝時代(1336-1392)以後で、その起源は13世紀後半に荘園制支配に抵抗した悪党にあると考えられる。忍びは、乱波(らっぱ)・透波(すっぱ)・草(くさ)・奪口(だっこう)・かまりなど、地方によりさまざまな名前で呼ばれ、忍者(にんじゃ)という呼び名が定着したのは昭和30年代になってからのことである。戦国時代の忍びは、各地の大名に召し抱えられて、敵国への侵入、放火、破壊、夜討、待ち伏せ、情報収集などを行ったが、最も重要なのは敵方の状況を主君に伝えることであることから、極力戦闘を避け、生き延びて戻ってくる必要があった。
日本忍者協議会
伊賀・甲賀地方は京都にほど近く、まわりを山という天然の要害に取り囲まれていることもあり、大名勢力が弱い一方自治が発達し、一揆を形成して武装していた。そのため、ときには近隣諸国に傭兵として雇われ、堀を越えて城に侵入し、戦闘に加わったことが確認できる。伊賀・甲賀の自治は、織田信長軍によって壊滅的打撃が加えられるが、天正10年(1582)6月2日の本能寺の変後に、徳川家康が堺(大阪府)から伊賀・甲賀を越えて白子(三重県鈴鹿市)を経由して本拠地である岡崎(愛知県)に逃れる際、伊賀者・甲賀者は山中の護衛をしたほか、さまざまな戦いで家康の先陣をきって戦ったことにより、家康は伊賀者・甲賀者を取り立てることとなった。
天正18年(1590)8月1日、徳川家康が江戸に入府すると、伊賀者・甲賀者は江戸城下に住み、大奥や無人の大名屋敷などの警備、普請場の勤務状態の観察などを行うほか、寛永初年(1624)ころまでは隠密としても活動した。また鉄砲隊として甲賀百人組、伊賀百人組に編成され、百人番所に勤番で詰めて、江戸城大手三之門の警備を行ったりしたほか、諸大名が抱えることもあった。『軍法侍用集』などでは、伊賀者・甲賀者は忍びの中でも最も優れていると記述されている。江戸時代になって平和な時代が訪れると、戦闘をすることはなく、情報を得たり警護をすることが主な任務となり、隣国の政治状況を知って自国の政治に活かすということもしていた。忍者というと屋根裏に潜んで会話を盗み聞きするイメージがあるが、実際はその土地の人と仲良くなって情報を聞き出すことの方が多かったようである。
17世紀中葉になると、忍びの方法や心構えなどを記した忍術書が書かれるようになった。延宝4年(1676)には、忍びの間で伝えられてきた技が伝授されなくなってしまうという危機感から、中国古代の兵書『孫子』をはじめ、さまざまな兵法書・忍術書からまとめ上げた『万川集海』が藤林保武によって編纂された。ここには登器・水器・開器・火器などの道具も絵とともに記されているほか、その他忍術書には、交際術・対話術・記憶術・伝達術・呪術・医学・薬学・食物・天文・気象・遁甲・火薬など多様な記述がなされており、忍術とは、総合的知識に基づくサバイバル術と位置づけることができよう。
実在の忍びの者が姿を消していく一方、江戸時代の小説・芸能では、虚像としての忍者が描かれるようになっていった。江戸時代初期の忍者は忍術を使って忍び入り、大切な物を盗んでくるというパターンで描かれた。この話でよく知られているものが、石川五右衛門の話である。ここで用いられる忍術は、妖術の影響を受けて、摩訶不思議な術に変化していった。妖術とは隠形の術、飛行の術、分身と反魂の術、蝦蟇の術、鼠の術、蜘蛛の術、蝶の術などで、中国の小説の影響を受けてさらに発展を遂げたものだが、この結果、巻物を加えて印を結ぶとドロンと消えたり、ガマに変身する忍者が生まれた。また、江戸後期になると、歌舞伎や浮世絵などにおいて黒装束を身につけて手裏剣を打つという現代につながる忍者のイメージが形成された。」
以上のように定義されている忍者。あなたのイメージとどれくらい正しくどれくらい違っていましたでしょうか?
忍者は、ドロンと消えてしまう魔術師でもなんでもなく、戦国時代に大名などに仕え、敵国の情報を仕入れる「諜報員」をしつつ、時には戦うことも行う、といったお仕事をする者だったのです。
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忍者のイメージ
近代では小説や漫画、アニメなどで忍者が描かれるようになりました。そこから、当時の本物の忍者とは違った忍者のイメージが出来上がったのでしょう。
忍者は海外でも大人気で、日本の漫画やアニメとして「NARUTO」や「忍たま乱太郎」「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」などに注目が集まるほか、アメリカ中心に忍者にまつわる映像作品が制作・公開されています。
このように忍者は日本を代表する文化のひとつなのです。
「海外では忍術を武術としてとらえる傾向が強いが、忍者に対して深い関心を示すのは、忍者という「神秘的」な存在にたいする憧れや、「忍術の「忍」は忍耐の「忍」」といった日本の伝統的価値観に対する理解もあってのことだろう。たとえ自分の名が世に知られることがなくとも、実直に耐え忍んで自分に与えられた任務をこなし、最後には大きな仕事を成し遂げるという忍者の精神は、日本人の生き方をよくあらわしていると言えよう。忍者の知恵の中には、近代日本の発展を支えてきた技術力、勤勉さ、組織力、忍耐力といった日本文化の諸相が凝縮されており、まさに忍者は日本を代表する文化と言えよう。」
日本忍者協議会
とあるように、忍者には日本人の伝統的な精神も備えられています。
忍者のあれこれ
1. 忍者の仕事
長い歴史の中でどの時代にも忍者の影が見受けられますが、忍者は、諜報活動や奇襲攻撃が重要になる乱世の時代に最も活躍していたと考えられています。忍者の仕事は大きく分けて2つあります。ひとつは、素性を隠して敵国に潜入し、敵の情報を探る「諜報活動」です。敵国の政治的な動きや武力レベル、どれくらいの兵がいるか、土地の特色などを入念に調べ上げます。いかに敵の情報をたくさん仕入れて、生きて君主の元へ帰り、情報を伝えるということがなによりも優先されることでした。時には潜入中に敵国に自分が仕える国の「ウソ」の情報を流して混乱に陥れ、弱体化につなげる、ということもしていたそうです。もうひとつは、直接的な戦闘ではなく、建物を放火したり、落とし穴を掘ったりという、兵士とは違った角度から戦に参加するということでした。
君主に忠誠心をもって仕え、“忍んで”敵国の情報を仕入れる。忍者は、敵国に忍び込んでいる際に絶対に君主の使いであることを知られてはいけない仕事です。そのため「忍び」の仕事は痕跡を残さないことが重要と考えられています。忍び先においても歴史においても音も匂いも智名も勇名も残さないことが美徳とされていました。これらのことを踏まえると、平和な世が訪れる江戸時代以降にならなければ、忍者の生態や忍術が記されている「忍術書」がないこともうなずけます。
ちなみに忍者は成人男性の仕事だけではありません。女性の忍者もいました。現代では一般的に「くのいち」と呼ばれていますが、当時は特にそういった呼ばれ方はしていなかったようです。女性の忍者は女性にしかできないような仕事もしていました。たとえば、当時では、炊事場の仕事は女性が行っていて男性はなかなか忍び込むことができません。そのため、女性の忍者が活躍していたようです。また、いわゆる「ハニートラップ」のような仕事もしていたと考えられています。ほかに、子どもの忍者も存在していて、敵国に奉公人として出され、情報を収集していたようです。
2. 各地の忍者
忍者は戦国時代には各地に存在したと考えられていて、各国の大名たちは、敵国の情報を収集するために、忍者を活用していました。そのため、忍者は各地にいて、それぞれの地域で呼び方が異なっていたようです。
東北では草むらで待ち伏せして戦う集団だったことから「草」と呼ばれていたり、信州(長野)や甲斐(山梨)では日本語の「すっぱ抜く」(秘密など隠されていた事実を暴き、明るみにすること)の語源となった「透波(すっぱ)」と呼ばれる集団がいたりしたそうです。
3. 忍術
では実際その忍術書に記されている忍術にはどういったものがあるのでしょうか。任務を確実に遂行するために、忍者はさまざまな技術を身につけていました。「隠れる」「潜入する」「記憶する」ときには「動物のまねをして隠れる」など。さらに「天気をよむ」ことや「道を覚えること」も大切です。そのほかにも得た情報を君主へ伝達する方法など、さまざまなことを習得し、任務を遂行していました。
・「隠れる」
「隠形術(おんぎょうじゅつ)」と呼ばれていて、盲点をつく体制をとって、敵から認識されなくなるように隠れる技です。追手から逃げているときに岩などに寄り添う形で隠れます。手、足、頭を縮めてうずらのように丸くなる姿勢をとることから「うずら隠れ」と呼ばれています。そのほか、「狸隠れ」は、上方向の注意は疎かになりやすいという心理をいかして、木の上に上って隠れるもの。壁や木などの物陰に隠れて顔を袖で隠して、目を観音様のように半開きにしたままじっとしている「観音隠れ」。水中に隠れる際には頭に蓮などの葉っぱをのせて隠れる「狐隠れ」と呼ばれるものもあります。遠くから見ると水に葉っぱが浮かんでいるだけのように見えます。
・「潜入する」
失敗は許されない潜入。隙が生まれやすいタイミングで潜入していました。祝い事のあった次の日の夜、屋敷内の病人が回復した夜、宴会がある夜、近隣で家事などが起こった次の日の夜など。ちなみに潜入するために、仲間に放火やけんか騒ぎを起こしてもらって、注意を引いた隙をつくという方法もあったそうです。屋敷の侵入経路も王道の4つがあり、手薄で人の出入りが少ない裏口、寝床などの攻めやすいところに近い庭先など家の奥側、座敷、切って外しやすい窓、縁側、台所の流しなどが入りやすかったようです。また仮病のふりをして屋敷の前で倒れ、助けてもらって知り合いになり、後日お土産を持参したところで言葉巧みに情報を聞き出すこともおこなっていたようです。「相手から情報を聞き出す」ということが最大の任務であるということからわかるように、忍者はかなりコミュニケーション能力にたけていたと考えられています。
・「動物のまねをして隠れる」
潜入中、物音を立ててしまって見つかりそうになったとき、動物の鳴きまねをしていました。そうすることで敵に「なんだ、犬か」と油断させていたようです。
・「天気をよむ」
雨か晴れかで敵の行動パターンが変わったり、雨の日は音やにおいがごまかせ、忍び込むのに向いていたりと、忍者は天気に敏感でなければなりません。そのため、忍者は経験に基づいて、空模様や生物の行動から天気を予測したり、占星術の知識をもっていたりしたそうです。
4. 忍者の道具
忍者の道具としてはじめに思い浮かぶのは「手裏剣」でしょうか。これまで見つかっている忍術書に詳しい記載がなく、江戸時代の歌舞伎の中で忍者像が作られていったと考えられています。
忍者は自身が隠れるだけでなく、武器も隠していました。潜入しているときに目立つ武器を持ち歩けないからです。杖の中に刀や槍を仕込んでいたり、喫煙道具の細長い煙管(キセル)の中に短刀が仕込んであったり、護身用に使っていたと考えられています。
屋敷に忍び込む際に使ったのは「登器」。壁や塀を登るための道具です。鉤部分を投げて壁や木などにひっかけて、縄を頼りに登り降りする道具の「鉤縄(かぎなわ)」は忍者の必需品でした。

ほかにも、戸を簡単に開くための「開器(かいき)」や水やぬかるみを渡るための道具「水器」なども活用されていました。
忍者体験ができる施設
「サムライ忍者ミュージアム 京都」概要
謎に包まれた忍者のことを学び、体験できる施設が京都と東京にあります。「サムライ忍者体験ミュージアム京都」です。京都の中心部にあり、観光地としても人気がとてもある「京の台所」の錦市場から徒歩1分という近さ。

外国人観光客の方にはおすすめのツアーがあり、施設内の4つのフロアをスタッフの方に英語でガイドしてもらえるというものです。それぞれのフロアでは忍者や、忍者が仕えていた侍の歴史と文化に関する雑学や興味深い事実についてしっかりと学ぶことができます。知識豊富なスタッフの方が、技術的な側面から、展示されているアイテムの興味深い背景まで、展示品のすべてについて英語で説明してくれ、侍と忍者にまつわる展示品を見学することができる素晴らしいツアーです!案内してくれるスタッフの方は忍者や侍についてとても詳しく、侍や忍者だけでなく日本の広い歴史や文化についてのほか、展示品に関する疑問など、何を質問しても答えていただけます。展示物の多くには英語で説明が掲示されてもいます。この施設を巡っているだけで、一般的な日本人よりも忍者について詳しくなれるかもしれません!
しかもこのツアーでは、忍者衣装や侍の甲冑の衣装に着替えて写真撮影をすることができます!さらに手裏剣打ちや吹き矢の体験など、ツアーが終わるころには忍者についてたくさんの知識を得られるだけでなく、自分が忍者になった気分まで味わうことができます。ぜひ日本に来たからには忍者になって最高の体験をしてください!平日、休日問わず1日に数百人の人が訪れるミュージアムなので、予約してから訪ねることをおすすめします!
施設情報
忍者について学ぼう!
こちらの施設ではたくさんの展示から忍者について学ぶことができます。その中でも注目したいのは、忍者が実際に使っていたと考えられている数々の道具、いわゆる「忍具」の展示です。

こちらは「鎖鎌」。
実は農家と兼業していた忍者が数多くいたと考えられていて、農作業で使う鎌を使った武器で、隠し武器のひとつです。鎖の先端には銅などの重りがついていて、重りを敵に当てたり、鎖を敵の武器に巻き付けたりして、ひるんだところを鎌で攻撃するというものです。

ほかにも「まきびし」は、忍者が追手から逃げるときに地面に撒くトゲトゲしたものです。
これ撒くことで、追手にけがを負わせる目的や、追手が踏まないように避けなければいけないため、逃げる時間稼ぎに使う目的などがあります。まき“びし”という名前からもわかるように、まきびしは「ひしの実」を乾燥させたものなのです。現代のようにいろいろな武器が揃わない中で、忍者は身の回りにあるものを使って武器にしていたことがわかります。

敵の屋敷に忍び込むために塀を登らなければなりませんが、そこで登場するのが「登器」。まさに登るための道具です。そのひとつである「くない」は忍びの万能器具です。
塀に突き立てて、このくないを足場にして登っていました。先がとがっているため、武器としても使用していたと考えられています。

忍者体験をしよう!
道場のような場所にずらりと並ぶ“的”に向かって、手裏剣を打つ体験ができます。

まずは練習。手裏剣の持ち方や、手首のスナップをきかせて打つことなどを教えてもらいます。

合図とともに一斉に、思い切って的に打ちます。これがなかなか難しい。何度か練習をしたあとに、誰が一番的の中心に近いところに手裏剣を打つことができるかの勝負です。家族や友人と手裏剣の腕を競い合ってみてください。盛り上がること間違いなしです!

ほかに、矢が入った筒に口を当て、「フッ」と一息かけることで、矢を遠くに飛ばすという吹き矢体験も行っています!
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吹き矢体験
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忍者が仕えた侍についても学べる!
さらにここでは忍者だけでなく、忍者が仕えていた侍についても学ぶことができ、体験までできます。侍が着ていた甲冑は、なんと本物が展示されています。

展示されている甲冑の多くの江戸時代以前、主に安土桃山時代、室町時代、江戸時代のものなのです。20体近く左右にずらりと並ぶ甲冑は迫力があります。侍は、戦の際にはこういった甲冑を身に着けて戦っていました。太平の世が訪れる江戸時代以前の甲冑なので、よく見ると、鉛の跡が見えます。

これは鉄砲の試し撃ちをして、甲冑に鉛が貫通しないかどうか試した跡だということです。刀で斬られた跡なども残っていて、まさにこれを着て戦っていたということを間近で見ることができます。また兜は、その武将(または武人)の権威を表すもの。とても豪華に作られているものもあります。こんな貴重な甲冑や兜は一般的な博物館ではガラスケースに入っていますが、「サムライ忍者ミュージアム」ではそういったものに入っておらず、本当に間近で見ることができるのです。展示してあるのは甲冑や兜だけではありません。当時、戦いに使っていた数々の武器も見ることができるのです。当時の「銃」の代表のひとつ「火縄銃」を実際に持つことができます。もちろん撃てないようにはなっていますが、実際に持つことでその重さを肌で実感することができます。刀の展示もあって、刀ができあがるまでのそれぞれの工程の様子や、美しい波紋も間近で見られます。刀を納める鞘(さや)や、刀と柄の間に装着する金具の鍔(つば)も展示しています。特に鍔は、デザイン性があって、侍たちのこだわりを感じられます。

ここでは模造刀を持って撮影もできますよ。
記念撮影をしよう!
ツアーの最後には、忍者や侍の衣装に着替えて写真撮影をすることができます。ずらりと並ぶ衣装から好きなものを選んで着られます。藁でできている帽子は「編笠」と呼ばれるものです。これは武士や浪人などがかぶっていますが、忍者にとっては忍び道具で、自分の顔を隠したまま相手の顔や周囲の景色を見ていました。

また、刀を持って、スタッフの方に写真映えするポーズの取り方も教えてもらうことができます。


お土産を買おう!
ツアーが終わったら、ギフトショップでお土産を購入することができます。こちらでは、いろいろな素材や形の手裏剣などの忍者グッズや、模造刀などが売られています。


ほかに、戦国武将のミニ甲冑も。

たくさんの忍者や侍に関するお土産が売られていますので、ご友人やご家族のお土産にも大変おすすめです!
東京でも忍者体験ができる!
こちらの施設の姉妹店が東京にもあります。浅草の浅草寺から徒歩3分、東京のシンボルであるスカイツリーにも近い場所に位置する「SAMURAI NINJA MUSEUM TOKYO With Experience」です。こちらでも、忍者や侍にまつわるさまざまな骨董品などの展示物があり、見ごたえがある内容になっています。
ぜひ東京でも忍者体験を楽しんでみてください!
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体験型ミュージアム:来場者は手裏剣打ちや甲冑体験、刀の鍛錬や忍者体験など本格的なアクティビティを楽しめます。
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骨董品に触れる:本物の江戸時代の刀剣や甲冑が展示されており、間近で見ることが出来ます。
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ガイドツアー(英語対応可): 15分ごとにガイドツアーを開催しており、展示をより楽しむことが出来ます。
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侍と忍者どちらも : ベーシックチケットで、甲冑体験や手裏剣打ちなど、サムライと忍者の体験を楽しむことができる。より本格的な体験を求める人には、忍者装束に身を包み、専門的な技を体験する忍者修行など、特別なプランも用意されています。
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歌舞伎や相撲: 日本の大衆文化と歴史が融合したこのミュージアムでは、漫画やアニメで描かれるような過去の姿を体験できます。
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リアル・ソード/ギフト・ショップ :館内には、本物の刀剣や、愛好家向けのお土産を取り揃えたサムライ・ギフト・ショップがあります。
施設情報
- 日本語名称
- サムライ忍者体験ミュージアム東京
- 住所
- 東京都台東区西浅草1丁目8-13 Googleマップ
- 電話
- 075-366-5250
- 営業時間:
- 9:00 - 18:00(19:00閉館)
- チケット
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Basic Ticket:大人3,000円(税抜)、子供2,700円(税抜)で、入館料、日本の歴史に触れるガイドツアー(英語対応可)、手裏剣打ち、侍の甲冑試着、侍のショーなどが含まれた総合パッケージ。
※オンラインチケット予約は10%割引
Special Tickets:6,000円(税抜)〜のこのチケットでは、本物の甲冑を身につけたり、侍や忍者の体験型トレーニングレッスンに参加したりと、より本格的な体験ができる。 - 公式サイト
- 公式サイト
さらに今年12月にも東京・新宿にも新しくオープンします。
SAMURAI MUSEUM TOKYO (2025年12月20日開業予定)
詳しくは公式サイトを確認してください。
まとめ
戦国時代、君主に忠誠を誓って仕えた忍者たち。君主のために素性を明かさず、跡を残さず、誠実に任務を遂行させてきました。その忠義を尽くす姿勢や謙虚さは現代の日本人に通ずるところがあると感じます。サムライ忍者ミュージアムではその心を忘れずに、黒の衣装に身をつつみ、忍者になりきって満喫してみてください!
参考:
・「The NINJA-忍者ってナンジャ⁉-」実行委員会(2016).The NINJA-忍者ってナンジャ⁉- 公式ブック.株式会社KADOKAWA
・山田雄司(2016).忍者の歴史.株式会社KADOKAWA