1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いに勝利し天下統一を果たした徳川家康が、京都での拠点とするため1603(慶長8)年に完成させた二条城。都の中心部、洛中における城として410余年の歴史をもつ歴史遺産だ。1994年には、「古都京都の文化財」の一つとして、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。
二条城で最初に造営されたのは、本丸御殿ではなく二の丸御殿。築地塀より一層高い位置に豪華な唐破風を備え、軒下に彫刻や飾金具で華麗な装飾が施された唐門は後年、後水尾天皇行幸に伴い建てられた。
唐門の先にあるのが、城内で唯一残された江戸時代初期の遺構で、国宝二の丸御殿だ。広大な敷地に、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院と呼ばれる6棟の建物が、雁行型で連なっている。大広間の一の間、二の間は1867(慶應3)年に江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜が大政奉還の意思を表明した場所として有名。また、作事奉行の小堀遠州が改修を手がけたとされる池泉回遊式庭園、特別名勝の二の丸庭園もある。
1626(寛永3)年、後水尾天皇の行幸に伴い、徳川家光が造営したのが本丸。当時は5層の天守や5棟の本丸御殿などを擁し、城郭としての威厳と体裁を備えていた。しかし、落雷や大火で大半が焼失。二条城が城郭というよりも武家の壮大な居館という趣が強いのは、そのためだ。現在の本丸御殿は、明治時代半ばに京都御所内の旧桂宮御殿を移築したもので、公家住宅の貴重な遺構として国の重要文化財に指定されている。
ポイント
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豪華な唐破風と華麗な装飾が見事な唐門。
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江戸初期の貴重な遺構で国宝の二の丸御殿。
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大政奉還の舞台となった、二の丸御殿大広間。
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名作庭家、小堀遠州が手がけたと伝わる二の丸庭園。